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鵜ikipedia

鵜飼の百科事典です。鵜飼にまつわる道具・生態・習俗・歴史・食文化・資料について図や写真を用いて解説をしています。

  • 鵜飼舟うかいぶね(鵜舟うぶね)
    長良川の鵜飼に使う舟は、江戸時代からほとんど形・大きさが変わっておらず、日本在来の木造船技術が受け継がれています。今も船大工が、県内の材を使って手作りしており、木材をつなぐ船釘(ふなくぎ)も、鍛冶屋が1本1本打ったものです。一部には松、檜(ひのき)を使っていますが、水に強く軽い高野槙(こうやまき)を全体に使い、舟がよくしなるようにしています。舳先(へさき)の裏側には、大漁と安全を祈願したお札が貼られています。
  • 櫂(かい)
    船頭(せんどう)が、舟を進めたり方向を変えるための用具です。水深が浅いところでは棹(さお)を差し、流れに乗ると櫂に持ち替えてこぎます。船頭は自分の背丈に合わせた長さのものを使い、自分で手入れをします。九州産の樫(かし)を使っています。 舟には中乗りが使う長さの短い「中櫂(なかかい)」、とも乗りが使う長い「とも櫂」、さらに予備の櫂を積んでいました。鵜篭(うかご)を運ぶときにてんびん棒代わりに使ったり、鵜飼のときに舟べりを櫂で叩き、鮎を驚かせたりもします。
  • 棹(さお)
    水深が浅いところで船頭が使う用具で、川底に棹(さお)を突いて舟を進めたり、舟の向きを変えます。鵜匠・中乗り・とも乗りが1本ずつ、予備を加えて6本の棹を舟に積んでいました。中乗りは使う中棹(なかさお)は短く、とも乗りが使うとも棹は長くなっています。素材は、以前は柔軟性のある栂(つが)を、現在は真竹(まだけ)を油焼き(あぶらやき)してまっすぐにして使います。先端に榊(さかき)の棹尻(さおじり)(トッコ)をはめ込み、鉄製の環(トウガネ・トンガネ)で止めています。
  • 鵜篭(うかご)
    鵜飼などに連れていくとき、鵜を入れて運ぶ篭(かご)です。2羽入れるものを二ツ差(ふたつざし)、篭をヘダテと呼ぶ仕切り板で分け、2羽ずつ計4羽入れるものを四ツ差(よつざし)と呼びます。篭を安定させ、鵜を水から守るために、篭に足が付いています。 水に強い淡竹(はちく)を使い、中に入れた鵜が怪我をしないように、内側の竹ひごの面をなめらかに仕上げてあります。篭の中央にふくらみをもたせ、六ツ目(むつめ)に編んで、鵜舟にちょうど良い大きさに作られています。
  • 篝(かがり)
    篝は、松を燃やして川面を明るく照らし、鮎を驚かせて鵜が捕まえやすくする、鵜飼の大事な要素です。船の舳先(へさき)にある篝棒(ぼう)を差す穴には、採りたてのムクゲの枝を一緒に差し込み、ヌルヌルした葉で重い篝を操作しやすくしています。松割木(まつわりき)を入れて燃やす鉄製のかご「篝」、それを支える「ほえ」「篝棒」、ほえに篝をかけるために大づる、小づるで構成されています。篝棒は檜(ひのき)、篝は鍛冶屋が鉄棒を打ち出して作っていました。
  • 松割木(まつわりき)
    鵜飼のときに、篝に入れて燃やします。細く割ったものを「茶だき」とよび、まわし場で食事の際、茶を沸かすのに使っていました。さらに細く割って燃えやすくしたものを「とばし」とよび、篝の火をつけるときに使います。松割木は、一束(ひとたば)が6貫(かん)(約22.5kg)あります。普段の鵜飼では2~3束、御料鵜飼では5束くらい使います。冬の間に丸太を割り、次の一年分を用意しておくため、松小屋いっぱいに300~400束が積み上げられます。 江戸時代は、金華山の枯れ松を幕府から支給されていました。
  • 漁服(りょうふく)と胸当(むねあて)
    鵜匠が来ている漁服は、そでが筒状になった木綿の着物です。暗い中で、鵜をこわがらせないため、また、鵜匠の姿が水面に映り、鮎を逃してしまわないようにするため、黒っぽい色が良いとされています。帯と胸当は、漁服と同じ布で仕立てます。漁服の衿(えり)後ろに小さな輪を付け、胸当てのひもを通して、ずれないようにします。 胸当ては、火の粉が着物に入るのを防ぎます。一枚の布を折って袋状に縫い、横の縫い口の一部を開けてポケットにして小さな用具を入れます。
  • 風折烏帽子(かざおりえぼし)
    降りかかる篝の火の粉から、髪や眉毛(まゆげ)を守るためのものです。目の粗い藍染(あいぞめ)の麻を一枚で使い、先がツンとするように頭に巻きつけて、烏帽子型(えぼしがた)にします。 小瀬(おぜ)には、三角の烏帽子の形に縫って、ひもをつけて帽子のようにかぶるものもあります。
  • 腰蓑(こしみの)
    現在、腰蓑は鵜匠以外は身につける事はありません。鵜飼を行う直前に、漁服の上から腰に巻きつけます。舟べりで身を乗り出して鵜を操るため、水しぶきを防ぎ、からだが冷えるのを防ぐ役割を果たします。まわし場で漁を待つ間、丸めた腰蓑を枕や座布団代わりに使うこともあります。 農家から糯(もち)わらを分けてもらい、鵜飼を行わない冬の間に作ります。透かし目に編んだ部分をツボと呼び、350~400本程もあります。昔は、一日で一つ作れると一人前と言われていました。
  • 足半(あしなか)
    船夫(せんぷ)や農家では足裏(あしうら)の半分程の長さのぞうりをはくことがありますが、鵜匠や船頭がはく足半は、足裏の1/3程の長さしかありません。 川や舟で作業をするには、かかと部分が無い方が、水の中でも抵抗がなくても動きやすく、すべりにくいと言われています。一日一足はきつぶしてしまうほど、すぐにすり切れてしまうため、鵜飼期間中は大量に必要となります。 鵜匠や船頭が冬の間に作って準備しますが、行商に来る農家から買うこともありました。
  • 手縄(たなわ)
    鵜を操るための縄を手縄といい、以前は檜(ひのき)(現在は化繊製)を細く割いて編んでいました。木を材料とするため、まっすぐの力には強く、縒(よ)りと反対方向にねじると簡単にちぎれ、手縄が水中で障害物に絡まり鵜が危険になったとき等、すぐに切ることができました。 手縄は、ツモソ、腹掛け、首結いで構成されています。麻ひもを使った首結いと腹掛けは、クジラのひげ(現在は樹脂製)で作ったツモソの一端に結ばれており、反対側の端から檜縄(ひのきなわ)をつけて、鵜匠が持ちます。
  • 松敷(まつしき)・松ごも
    松敷は、篝で燃やす松割木をのせる台です。檜(ひのき)の角材をはしご形に組み、舟の幅に合わせて両辺の長さを変え、さらに側面部分に角度をつけ、船底と側面の角度に合うようにしてあります。底面は、水がたまって松割木がぬれないように、溝が掘ってあります。 松ごもは、雨のときに松割木が濡れないように覆います。雨がひどいといには、合羽とよばれる油紙も使います。 現在は小さな松敷だけを使い、ビニールシートをかぶせます。
  • あかかい
    舟の中にたまった水(=閼伽(あか))をかき出す用具です。水をかき出しやすいように、底面が反った形をしています。鵜飼の時に必ず持っていきます。檜(ひのき)や槙(まき)の板を使って、鵜舟を作る船大工が作ります。
  • 吐け篭(はけかご)
    鵜飼のときに鵜が飲んだ魚を、この中に吐かせます。大小2個で一組であり、大きな篭を鵜匠が、小さな篭を中鵜遣いが使っていました。普段は入れ子にして収納します。淡竹(はちく)で全体をザル状に編み、底は四角いイカダ底に編んで、安定しやすく水切りが良いようになっています。また、内側の竹ひごは、魚を傷めないように面取りがしてあります。
  • せいろ
    もろぶた(諸蓋)ともいい、鵜飼で獲った鮎を出荷するための入れ物です。鵜舟1艘に10~12枚用意し、松敷きの横へ積み上げていました。檜(ひのき)の曲げ物を桜の皮で底板に取り付けてあり、積み上げやすいように、底板が曲げ物部分より大きくなっていました。現在は、箱型のくぎ打ちで制作しています。側面に鵜匠家の屋号が焼印され、下方には水切り穴があります。
  • なた
    鵜飼や餌飼(えがい)のときに、必ず一本は舟に乗せる必需品です。棹先(さおさき)のトッコを修理したり、水中の障害物を取り除いたり、舟の運航を妨げる枝を切り落としたりします。篝棒(かがりぼう)に差し込むムクゲの枝を切るときにも使います。怪我をしないように、刃の鋭いものより、少し錆びたものを使いました。鵜飼のときは、松敷の下に収めておきました。
  • 鳥屋篭(とやかご)
    鵜が暮らす「鳥屋(とや)」と呼ばれる小屋で、鵜が休んだり眠ったりするための篭です。カタライと呼ぶペアにした2羽の鵜を、ひとつの篭に入れます。鵜が頭をぶつけないように、二ツ差(ふたつざし)よりも少し高めに作っています。 割った淡竹(はちく)を使い、六つ目に編んだ篭の上から、竹製のすのこ状のふたをかぶせて使います。
  • 輸送用篭(現代)
    鵜飼に使われる鵜は、野生の鵜を捕獲して飼い慣らしています。現在は、茨城県十王(じゅうおう)にある鵜の捕獲場で捕らえた鵜を輸送用篭(ゆそうようかご)に入れ、注文に応じて春と秋に運びます。鵜の捕獲人が、竹で簡単に編んだ篭に鵜を入れ、周囲にわら菰(こも)を巻きつけて、鵜がまわりを見えないようにしています。竹で編んだ蓋をし、篭の中にもわらをしいています。
  • 切出し小刀(こがたな)
    鵜のくちばしはとても鋭いので、くちばしを削って手入れしないと、せっかく獲った鮎がかみ切られたり、傷だらけになってしまいます。この小刀は、その鋭いくちばしの手入れに使うものです。折りたたみ式になっています。 小瀬では、鮫皮(さめがわ)で仕上げを行っています。
  • いかり・こいかり
    舟を停めておくために、水中に沈めておもりとして使う用具です。舟を引き揚げておくときには、一尺(いっしゃく)(約30cm)くらいの大きな石(マクラ)と一緒に使いました。鉄製で、鍛冶屋が作りました。上部には、ロープをつなぐ環が付いています。大小二種類あり、大きないかりは日常の漁に、小さなこいかりは、水中で鵜の障害となるものを取り除くときに使いました。
  • たいまつさし
    太い鉄線を曲げたものを舟の側面にはめ、たいまつを立てられるようにしています。鵜飼の後片付けのときに、明かりとして使っていました。今は、アセチレンガス灯を使っています。
  • 蓑(みの)
    雨の中で鵜飼を行うときに、鵜匠や船頭が使う雨具です。藁で編んであり、肩から背を覆う部分と、腰を覆う部分で二重になっています。
  • 笠(かさ)
    蓑と同じように、雨の中で鵜飼を行うときに、鵜匠や船頭がかぶる雨具です。菅笠(すげがさ)、檜笠(ひのきがさ)、竹の子笠(かさ)の3種類があります。しゅろ縄で編んだ網袋(あみぶくろ)には、笠2つを入れられるようになっています。
  • むしろ
    雨天時の鵜飼などで湿ってしまった鵜匠の衣装などを包むのに使いました。イグサで編んだものに木綿の縁取りがされています。
  • 帆(ほ)
    岐阜市長良では船外機が普及する昭和30年代までは、風があれば舟に帆をかけ、風が弱ければ舟に立てたメバリ棒に引綱(ひきづな)をつけ、船頭が河原から引きながら上流のまわし場へ向かっていました。帆は木綿性で、5枚の布を使った5反帆(たんほ)と呼ばれるものです。帆を立てるための帆柱、帆柱を差し込んで固定する帆げた、帆や網を収納する帆箱で一式となっており、餌飼(えがい)にも持って行きました。
  • 引綱(ひきづな)
    岐阜市長良で船外機が普及する昭和30年代までは、風があれば帆を貼り、風が弱ければ舟に立てためばり棒に引綱をつけ、船頭や中鵜遣いが川原に降りて、舟を上流まで引いて上がりました。舟底にはめこんだめばり板に、引綱を結び付けためばり棒を立てます。引綱は麻製で、肩にかけて引っ張るために、麻を木綿で包んだ環(わ)がついています。 舟を上流まで引く作業は、大変な重労働でした。
  • 広桶(ひろおけ)
    以前はまわし場に弁当を持っていき、日暮れを待ちながら、漁の前に軽い食事をしていました。これはその弁当箱で、檜の曲げ物を桜の皮で編んでおり、入れ子になっています。 鵜匠や船頭達が食べられるように、4人分入ります。大きな広桶の下段にはご飯を、上段に皿・はし・茶碗を入れ、小さな広桶にはおかずや漬物を入れていました。ご飯はゆうに一升入ります。持ち歩きやすいように大小の広桶を重ね麻縄(あさなわ)を十文字にかけて提(さ)げていました。
  • やかん
    以前はまわし場に弁当を持っていき、日暮れを待ちながら、漁の前に軽い食事をしていました。そのとき、お茶を飲むために湯を沸かしていたものです。銅製のため軽く、熱伝導が良いため短時間で湯を沸かすことができました。 松割木を細く割った茶だきに火をつけ、川原で石を組んでやかんをかけていました。
  • 鵜鮎箱(うあゆばこ)
    鵜匠が鮎を市場に出荷する時に使うもので、箱の中には小型のせいろ(もろぶた)15枚が入っています。側面には「鮎箱」、鵜匠家の屋号と苗字が墨で書かれています。
  • 石臼(いしうす)と杵(きね)
    鵜飼で獲れた鮎を輸送する時、傷まないように氷を詰めて保冷していました。石臼と杵を使って、氷のかたまりを砕き、せいろ(もろぶた)に詰めます。杵は樫(かし)、臼は砂岩製(さがんせい)で、手で持ち上げやすいように、外側2か所が削り込まれています。 小瀬では、現在のように冷凍庫や保冷剤がない頃、鵜匠の家では地面に穴を掘り、もみ殻などを敷き詰め、その中で氷のかたまりを保存していました。これを氷室(ひむろ)といい、真夏でも半日は保存することができました。
  • 輸送用篭(明治時代)
    鵜飼に使われる篭は、野生のウミウを捕獲して飼い慣らしています。これは、明治時代に九州方面から購入したときに、捕獲した鵜を入れて送られたものです。
  • 宮内省御用鵜鮎逓送用箱(くないしょうごよううあゆていそうばこ)
    明治・大正時代、宮内省(現在の宮内庁)御用の鮎を運ぶために使われていました。箱の内側には亜鉛板を貼り、約6貫目(かんめ)(約22.5kg)の氷のかたまりを入れて、クーラーボックスのような役割を果たしています。内側の底には水抜きの穴があいています。 ふたの合わせ目にはラシャ布を張って密閉しています。せいろは高さの異なる2種類があり、大きなせいろに氷を入れ、その上に鮎を入れた小さなせいろを積みました。側面に「式部職(しきぶしょく)」と墨で書かれています。
  • 胸当(むねあて)
    江戸時代。尾張藩主が鵜飼をご覧になるときに、鵜匠が着けた特別な胸当です。夏は白地の絽(ろ)、冬は紺色のラシャのものを使いました。鵜匠家の家紋として、梶(かじ)の葉が描かれています。
  • 御用提灯(ごようちょうちん)箱入
    江戸時代の終わり頃、有栖川宮家(ありすがわのみやけ)に鮎を献上するための鵜飼で使用したものです。鵜飼を観覧する御料舟(ごりょうふね)ののぼりに付けました。「有栖川宮御用」の文字と、花弁(はなびら)が16枚の菊の御紋が描かれています。 時代の変化によって尾張藩の保護がなくなり、長良川鵜飼の存続が危ぶまれるようになったため、次ぎなる保護者を求めて、有栖川宮家に鮎を献上しました。
  • マルハチ印(じるし)提灯※マルハチは〇の中に漢字の八
    江戸時代(天保以前)、尾張藩に鮎を納めるための鵜飼で使用したと思われる。弓張提灯です。尾張藩の合印(あいじるし)「八」が描かれています。
  • 主猟寮提灯(しゅりょうりょうちょうちん)
    宮内庁御用鵜飼のとくに使われた提灯です。「宮内庁」「式部寮(しきぶりょう)」の文字と宮内庁の紋が墨書きされています。
  • 有栖川宮御用鵜飼制札類(ありすがわのみやせいさつるい)
    江戸時代、幕府や尾張藩から保護されていた長良川鵜匠は、幕末になって尾張藩からの保護がなくなると、皇室に関係を求め、その保護を受けようと働きかけました。まず有栖川宮家にその御用を承り、漬鮎(つけあゆ)(鮎鮨あゆずし)を献上しました。大きな制札(せいさつ)は漬鮎製造に関するもので、両面に「有栖川宮御進献(ごしんけん)」御用漬鮎製造中 也不浄之輩不可入事(ごようつけあゆせいぞうちゅうなり ふじょうのやからはいるべからずのこと)」の墨書きがあります。中小の制札には、それぞれ「有栖川宮御進献御用」「有栖川宮御進献御用漁」と書かれています。
  • 棟桁(むなげた)・苫(とま)
    鵜舟で遠方まで出かける泊まり餌飼(えがい)のときには、舟が家の代わりとなりました。 棟桁は、舟を一時停めるときや雨雪のときに、舟に屋根をかけるために使いました。隅木(すみき)を舟の側面に縄で縛りつけ、支柱は船底に差し込み、その上に棟桁を渡し、苫やむしろをかけるための骨組みをつくります。苫はスゲを編んだもので、大小の大きさを用意し、棟桁に結びつけるための縄がついています。
  • からみ棒
    泊まり餌飼(えがい)に出かけて停泊(ていはく)するときには、複数の鵜舟を連結させ、岸に固定します。各鵜舟の舳先(へさき)を綱で結び、舟の中央にからみ棒を渡して安定させます。 泊まり餌飼では、ひとつの舟の中で鵜と主に暮らし、さらに他の鵜舟ともお互いに助け合って生活しました。
  • せんじ
    鵜舟(うぶね)で泊まりながら遠方まで出かける「泊まり餌飼(えがい)」のときに使う、炊事用具一式です、せまい舟の中でも効率よく調理できるように、また舟がゆられても安全なように、舟の幅や高さに合わせて作られています。木箱にクドや鍋釜(なべかま)を入れ、凹凸(おうとつ)のないように積み上げます。 木ふたを裏返してまな板がわりにしたり、食事の台として活用しました。日用品を入れる引き出しには、歯ブラシや石鹸、針と糸などが入っていました。
  • にご・にご筒
    鵜は食べた魚を半分ほど消化して、残りを吐き出す習性があります。そのため、鵜の首にわらで作った「にご」をかけ、魚を吐き出させないようにして、体調を管理しました。「にご」をかけたままでは具合が悪くなるため、深夜から朝にかけて切る必要があります。 指で切るため丈夫でないほうが良く、素材はもちわらを使いました。竹で作られたにご筒に入れて、鳥屋(とや)にかけたり、餌飼に持っていきました。
  • ひつ
    檜(ひのき)で作られた衣装箱(いしょうばこ)です。鵜舟で泊まりながら遠方まで出かける「泊まり餌飼(えがい)」のときに、着替えを入れていました。内側には和紙を貼り、湿気を防ぐために柿渋(かきしぶ)を表面にほどこしています。
  • ろっぺ
    竹を細く割って編んだ、ふた付きの魚籠(びく)です。餌飼(えがい)のときに、鵜の餌にする魚を生かしておくための生け簀篭(いけすかご)でした。鵜舟の側面に、水に浸(つ)かるようにひもでつるしておきます。川魚がいないとき、この中に入れた魚を鵜の餌として食べさせました。
  • ささら
    鵜を入れる篭を洗うためのハケです。篭を清潔にしておかないと、細菌によって鵜が病気になることがあるため、篭は毎日洗って乾燥させます。丸竹を節目で切り、節のない側を細く割ってささら状にしています。
  • はけ
    舟を洗うためのたわし状のものです。台は木製で、皮ひもがついています。
  • 餌飼車(えがいぐるま)
    陸餌飼(おかえがい)のときに、鵜を入れた鵜篭(うかご)や用具を積み、大八車(だいはちぐるま)で運びます。この大八車を餌飼車(えがいぐるま)とよびました。餌飼車が使われるようになる前には、てんびん棒で鵜篭を運んでいたと聞き伝えられています。樫材(かしざい)の車代(しゃだい)に、自転車用のゴム輪を取り付けています。
  • てんびん棒
    陸餌飼(おかえがい)のときに、鵜篭(うかご)をかつぐのに使いました。餌飼車(えがいぐるま)が使われるようになる前は、てんびん棒をかついで運んでいたと聞き伝えられています。中央部分が太く、先端に行くにしたがい細くなります。先端には、かけた荷が落ちないように、釘が打ちつけられています。かたくて丈夫な樫(かし)で作られています。
  • 道中衣(どうちゅうい)
    江戸時代に、鵜匠が餌飼(えがい)に行くときに着ていたものです。雨や雪をしのぐ着物仕立ての合羽(かっぱ)のうち、丈(たけ)の短い半合羽(はんかっぱ)と呼ばれるもので、萌黄色(もえぎいろ)の麻布(あさぬの)で仕立てています。刀を通せるよう、穴が開けられています。
  • 手縄(たなわ)をつくる原料
    鵜を操るための縄を手縄(たなわ)といい、以前は檜(ひのき)で編んだ細い縄を使っていました。木を細かく割っているため、まっすぐの力には強く、縒(よ)りと反対方向にねじると簡単にちぎれるので、鵜が手縄に絡まってもすぐに切ることができました。檜の柾目板(まさめいた)を薄く削ったものを手縄木(たなわぎ)とよび、原料としていました。
  • 手縄(たなわ)をつくる道具
    檜(ひのき)の柾目板(まさめいた)を薄く削った手縄木(たなわぎ)を、3日ほど水に漬けてやわらかくします。これを定規板(じょうぎいた)と呼ぶ台に乗せ、つむぎ針を等間隔で固定した用具を使って、繊維状に細く割き、右縒(よ)りに、縄をないました。原料や作った手縄は、手縄箱と呼ぶ箱に収納していました。 鵜飼のない冬の間に、鵜匠や船頭が作っていました。
  • 腰蓑(こしみの)の原料
    一つの腰蓑(こしみの)を作るのに、一束(ひとたば)のわらが必要です。農家から、繊維が長く粘り気のある糯(もち)わらを分けて貰います。わらの太さを揃え、穂先から第一節と第二節の間、2寸(訳6cm)ほどをなったものをツボとよびます。 1枚あたり、350~400本のツボを作ります。 ツボの下にカケソと呼ぶわらを加え、三つ繰(く)りに編みます。
  • 腰蓑づくりの道具
    鵜匠が身につける腰蓑(こしみの)を作るため、鵜匠や船頭の家には土間や作業小屋があり、わら打ちのための石や、わら打ち台、わらを打つわらづち、編み台などがあります。 糯(もち)わらをわらづちで打って柔らかくしたものを、少しずつ霧吹きで湿らせながら、編んでいきます。鵜飼を行わない冬の間に、鵜匠の体型に合わせた大きさで作ります。 昔は、一日で一つ作れると一人前と言われていました。
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