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長良川の鮎の熟(な)れ寿司

  • administrator
  • 2021年12月29日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年12月29日


 一般の食卓にはなかなか上りにくい鮎の熟れ寿司ですが、最近では製造販売するところが、数は少なく時期が限られてはいるもののでてきました。長良川の若き川漁師 平工顕太郎さんもその一人です。平工さんに詳しくその歴史を教えていただきましたので、リーフレットから引用させていただきます。



 

本格木桶仕込み 天然鮎なれずし

 美濃国のアユずしは「延喜式」にもその名がみられ、天下逸品の誉れ高く多くの文献にも書き記されています。江戸時代には尾張徳川家の御用となり将軍家をはじめとする貴人各方面に献上されました。

 すしに漬けるアユは鵜アユと定められており、それを確保するために尾張藩は鵜飼を保護し鵜匠に数々の特権を付与しました。鵜匠の役目はアユを捕ることで、すしの調整は世襲制の専門の職人が代官所の立会いのもとで行われました。徳川将軍家への献上アユずしは、将軍がお召しになる日から逆算してつくられます。アユを捕る鵜飼漁もそれによって期日が決められ、漁は二日間と定められていました。

 金華山を間近に見上げる岐阜町に御鮓所【すしどころ】という献上ずし調製所が設けられ御鮓元【すしもと】と呼ばれる働き手が専用の風呂で身を清めてからマスクをし、手拍子を合図に作業を行いました。一日目に捕られたアユは三日三晩、二日目に捕られたアユは二日二晩それぞれ塩漬けにされ、そのあと同日に水で洗って塩出し、腹に飯を詰めて、これを桶に飯と詰めふたを万力で強く押し込みそのままの状態で縛られました。

 できあがったアユずしは1桶20匹、4輪で1荷、一度に3人の人足により御鮓所を出発し、岐阜から尾張、そして江戸に至るまで5日間という決められた日程で荷物には外箱の鍵、宿次御証文とその写し、添書、刻付表を備えるなど万全の体制で搬送されました。献上鮎ずしを運ぶ一両日前には「先触れ」を出して江戸に着く正確な時を知らせたといわれています。

 



 いかがでしょうか。歴史のある伝統食 長良川の「鮎の熟れ寿司」を機会がありましたらぜひご賞味ください。


 今年もこの長良川鵜飼文化応援団のWebサイトをご覧いただきありがとうございました。皆様どうぞ良いお年をお迎えください。


平工顕太郎さん 結の舟のWebサイト https://www.yuinofune.net/

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